三男 翔馬's コラムメンバー's コラム

しょまをの言葉 その34

三男 翔馬'S コラム

動物は食べないと生きてはいけない。

人間も動物であり、食べないと生きてはいけない。

 

 

僕がきっとサバンナに産まれたシマウマだったなら、

生きることに疑問も持たず、

生きる為に食を探しただろう。

無論、ダイエットなんて発想もありゃしない。

 

 

もっと言うなら、

これは僕の先入観なのかも知れないけど、

もし、僕が発展途上国に生まれた子供だったなら、

やはり生きることに疑問も持たず、

生きる為に食を探しただろう。

無論、ダイエットなんて発想もありゃしない。

 

毎日を生き抜く為に、

すべきことがきっと支配しているだろう。

 

ただ、これも僕の先入観なのかも知れないけど、きっと彼らは生きることを辛い辛くないでは測らないはずだ。

 

 

 

…"本当の意味で"と書こうと思ってやめた。

 

"本当"ってなんだよ、って思ったから。

 

その"本当"は僕の価値観でしかない。

 

 

 

『不幸だなんて決めつけるな、俺は幸せだ。

少なくとも、

私は不幸だ、と思っているあなたよりもずっとずっと。』

 

そんな風に僕なら思うかもしれないから。

 

 

 

 

 

話を戻します。

 

だけど、僕は恵まれている。

 

ダイエットという選択肢を選びはしないけど。

 

というか、選択肢がある時点で人はきっと恵まれている。

 

もちろん、選択肢とはある程度自分で作るものではあるけれど。

 

それはやはり僕が生きる世界の中での選択肢であって、

 

僕が誰かの世界を生きることはできないでしょ。

 

世の中には選択肢を増やすという選択肢を選べない人だって沢山いるわけだから。

 

 

 

 

だけど、それを憂うのは違うとは思った。

そして、それを哀れむのも違うと思った。

 

誰かの分まで生きるっていうのは違うと思う。

 

 

彼には待ち望んだ明日が来なかったとして、

彼女には望んでないのに明日が来たとしても、

 

彼女が彼の分まで生きるなんて大それたことはきっと出来ないから。

 

 

彼女が生きられるのは、

彼女の人生だけだから。

 

 

もっと言ったら、多分彼だってそんなこと望んじゃいない。

 

 

 

時々さ、誰かの為って思って

誰かのせいにしたりしてない?

 

誰かの為って言葉で

誰かに押し付けたりしてない?

 

 

 

僕はあなたの喜ぶ顔が見たくて生きている。

だけどそれはきっと、あなたの為ではなくて、

僕自身が、あなたの笑顔が見たいからなんだって、

そう思うもの。

 

 

 

 

 

僕はサバンナにシマウマとしては生まれなかった。

 

僕は逗子に人間として生まれた。

 

じゃあシマウマは、僕を恵まれてると思うだろうか。

 

 

僕は経済的に貧しい国では生まれず、

 

僕はこの街で大好きな家族にぬくぬくと育ててもらった。

 

じゃあ前者の人だったら僕を恵まれてると思うだろうか。

 

 

 

 

答えはどちらもNOだと思う。

 

多分、僕のような立場から僕を見るから僕は恵まれてると思うのだ。

 

 

 

 

人はどこまで行っても、

自分の世界でしか生きられないのだから。

 

 

 

それも踏まえてもう一度。

 

 

 

僕は恵まれてる。

 

だから僕は日々感謝を抱いて、生きていこうと思う。

 

 

 

 

 

"生きるために食う"のではなく

"食うために生きる"人生を。

 

 

 

 

 

翔馬